A Better Place To Pray

I'm singing out my revolution song like nothing else matters

2019年 1月 13日(日曜日)

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目の前にだれも座ってないのがとてもいい。

 

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ザ・ベッドタウン的風景

 

生きるって意味

19歳のぼくにとって生きることは「未来」のためにあった。しかもそれは「輝かしい未来」である。「輝かしい未来」にとっては過去なんてものは気にもとめていないどころか、邪魔なものでしかなかった。ぼくはそれを語る人たちのせいで人生という言葉の意味を「過去」として捉えていたのだ。だからその言葉が大嫌いだった。

しかし、これがだんだんと「今」という意味に変わってきたことにぼくはとてもわくわくして生活している。

ECDの音楽はECD自身のリアルタイムを歌っていた。それは整理されてはいなかった。簡単なわかりやすい結論を残した作品ではなかった。だからぼくは惹かれたのだ。保坂和志は過去を消えてしまうようなものとしない、「花ちゃんは死んでない」と言い出している。あの年賀状、最高だと思う。

というか、過去、現在、未来という区別がどうでもよくなったのだった。人生とは「今」という意味なのだ。「今」という瞬間に過去や未来がぶつかってきて常にボコボコ出てきてる感覚で、だから「今」には過去も未来もある。

そういえば、ツイッターを始めた09年ころ、「メタメタなツイートをキレキレッに投稿する」とか言われてたツイッタラーがいた。音楽クラスタとか言われてた、インディー好きな奴らの界隈に確かメタルが好きな方で「汚っ酸」とか呼ばれいる人が二人くらいいた。多分、当時で歳は30代中盤超えくらいだったんじゃないか。で、彼らの言うことは20代の発言が並ぶ中では確かにキレのあるというかとにかくメタだった。みんなまだ青い中で、簡単に言うと「俺が安倍を嫌いなのは俺が嫌いだから」的な音楽に感する評論家めいたツイートが並ぶ中でも彼らにはしっかりとした論理があった。なんというか、ソースやエビデンスのある論理的な話に見えていた。要は若者が陥りがちな自意識にまみれたものではないツイートをしていたように見えたのだ。

30代になって思う。そういう若者の自意識からくるツイートにメタで被せたくなる欲求、「俺はそこ通って卒業してここまで来てここまで考えられるようになったんだよ」的なやつあるけど、なんかきょう不意に「絶対にそれをしたくないな」って思った。それが30代の自意識の発露なんだから。