A Better Place To Pray

I'm singing out my revolution song like nothing else matters

2019年 1月 6日 (日曜日)

  ツイッターを辞める

ツイッターで百なんとかって人間が東アジアの国々に対してヘイトをそれなりに撒き散らしているのは知っていたけど、さすがに韓国への今回の件でぼくはキレてしまった。ああいう発言を何度もしているのに凍結等の判断を下さないツイッターにも大変に腹が立つのであって、百なんとかのアカウントが凍結されるまではツイッターを辞めようと思い、触っていない。

 

  満田拓也『メジャー・セカンド』

 

 

主人公の大吾を見ていると今の日本人のメンタリティーの典型のように思えてくる。それがモチーフなのではないかと思えてくるくらいに。

例えば、システムがよく分からない初見の店に行くとする。そこで分からないことを店員に訊くのではなく、なんとなくもじもじしてると店員が察して案内してくれる。客は「分かってた」という顔をして席に着く。ぼく自身はせっかちなのでそういうことはしないのだけど、そういう光景はよく見る。大吾の野球を辞めた感じがそれとオーバーラップする。

要は、かっこ悪くなれない、恥を出来るだけかきたくない。

何故そう思うのか。簡単な話で、この国の社会には物が溢れているのが当たり前のことだからだ。それを生まれた頃から当たり前に享受していると、分からないことは恥になるからだ。

君の消費行動がどうなっているか考えてみればいい。「個人の欲望というのは他人のそれから生まれる」「男の願望がアイドルやグラビアアイドルの外見の流行りを決める」という基礎知識でもって見つめ直してみるといい。

 

「え?そんなことも知らないの?」

 

そう言われることをみんながとても怖がっているから、情弱という言葉は広まったのだろう。

情弱は進化した。ぼくたちの内面へと更に一歩踏み込んでくる。「コスパ」という言葉で。

コスパ」という言葉は怖い。ただ情弱でいることでは済まされない表現である。情弱に何かがプラスされている。なんだろうか。より能動的な態度を求められるというか、自己責任感が増すというか。

「常に相対的な何かに曝されていて損切りをして生きている」という、HP(体力というか存在そのもの)やMP(精神というか内面)を摩耗していくような気配をぼくは「コスパ」という言葉から感じる。要は、せせこましいのである。

 

話が誇大妄想化してしまった。しかし、観たり読んだり聴いたりすることはどんどんなにかの考えが生まれるということではないか。対象からどんどん離れても別にいいのではないか。だからおもしろいのではないか、観たり読んだり聴いたりすることは。

メジャーリーガーの2世で野球に関して素晴らしい環境があるにも関わらず、それが故に周囲の目を気にするあまり内面化し過ぎて野球に対してどうしようもなくなった大吾。彼の対になっているのが、これまた2世で帰国子女の佐藤光であり、その性格は大変に対照的だ。なのでぼくはそういう妄想が捗るのだ。

って、まだ二巻までしか読んでないんだけど。でも、実のところ内省的でせせこましいやつはキャッチャーに向いているのではないか。

 

  早川義夫(2002)『たましいの場所』 晶文社.

 

たましいの場所 (ちくま文庫)

たましいの場所 (ちくま文庫)

 

 

「別に僕の過去が輝いていたわけではないが、時々、過去の歌を評価されると、もちろん、嫌ではないけれど、必ず今の自分に突き当たる。」p.184

 

 

  マルクス・ガブリエル(2018)『なぜ世界は存在しないのか』講談社

 

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

 

 

「つまり数多くの小世界は存在していても、それらすべてを包摂するひとつの世界は存在していません。これは、数多くの小世界がひとつの世界にたいする多様な視点にすぎないということでは断じてありません。むしろ数多くの小世界だけがーまさしくそれらだけがー存在しているということにほかなりません。それらの世界は現実に存在しているのであって、わたしの想像のなかにだけ存在しているのではありません。」p.20