A Better Place To Pray

I'm singing out my revolution song like nothing else matters

2019年 3月9日 土曜日

 

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かんなみたいにね 命を削ってさ 情熱を灯してはまた光と影を連れて

進むんだ」(出典、Mr.Childrenの終わりなき旅)

ここが橋本環奈のセリフに聞こえてしゃーない。

ちなみに橋本環奈さん、この曲のリリース時、まだこの世に生を受けていません。

 

‥‥‥‥‥‥‥

 

混むのに階段近くのドアに密集して固まる人たちの話とかします

 

電車。なんかホームに着いた時の停車位置が改札へ続く階段に近いところに乗りたがる人たちがいて、そこだけぎゅうぎゅうにひしめいてていつもそれを見るとおもしろいなと思う。同じ車両の別のドア付近はガラッガラなんですよ。あれ、なんなんですか。たった数メートルの効率さのためにあのドア付近の空間で昼の11時に満員電車ごっこしてひしめいてるんですか。乗り換え駅でもないのに。

 

小学生の頃、年中日陰になっててじめじめしてる中庭に緑のマットが置いてあったんだけど、何かの拍子にそれをひっくり返すと真っ白な蛆のような虫マットの引いてあった地面いっぱいにうごめいてて、もんすごっく興奮したんだけど同時にめっちゃ気持ち悪くもあって。故にそれは今も鮮明な記憶なのだけど、人間も変わらんのだなと。

大学を卒業してからは意識的に、

「電車に乗り遅れるから走る」

「車両を動いてまで少しでも効率的に動けるポジションへ移動する」

「急いで人を押し退けてまで席を確保する」

だとかそういうことについて絶対にあくせくしたくないなと思ってるんですよね。最近はそれをしてる人を見るだけでMPのようなものが減ります。

 

そんな光景を見て上記様の感慨をぶん回してたら、

                                                         かすかにアメイジンググレイスが聞こえてくるの。

電車は鉄橋を走ってるからその轟音みたいなのでかき消されてるんだけど集中するとたしかに聞こえてくんの、優しく、とてもやさしーーいアメイジンググレイスが。

     「ああ、俺、死ぬんだわ。今からなんかの発作が起きるんだわ」

って。ここは廃仏迎えがこない(出典、ここは退屈迎えに来て否、迎えが来たんだわ、と。そしたら鉄橋超えたらハッキリ聞こえてきやがるし、なんか怨霊、否、音量も増してきた感じあって、

                      「うああああああああああああ」

                          隣のばあさんの着信音でした。

 

最後に。梅田から阪急電車の特急乗ろうとしたら、ボックス席の窓側が空いてんのに通路側座ってる人がいて、「あ、淡路とかですぐ降りるんだろうな」って「すんません」と断って窓側を拝借したら、そのおばさんは俺が降りた茨木市でも降りなくて

               「何故、窓側に詰めずに座ってたんだ?」

       「また、この世の中に新しいルールが爆誕してるのか?」

と不安になってます。

2019年 3月8日 金曜日

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目が悪い。視力が悪い。視力検査のランドルト環の裂け目が全然見えない。そして、乱視だ。

大阪には赤信号が青信号に変わるまでどれくらい掛かるのかわかるように信号機の両端にメーターのような細かい点が縦に連なっているものがある。その点の数が減って来るともうすぐで青信号だ。しかし、あれが見えない。いや、見えるんだけど、見えたことにはなっていない。例えば、点があとふたつだとする。でも、それがよっつに見える。それは見えていることにはならないだろうか。

 

揺れる電車に合わせて男女の俯いた頭がふたつ前後に揺れている。ゆっくりとヘッドバンキングをしているようでどうにもおもしろい。男の足元にはギターか何かのケースが置かれている。

 

新聞紙を広げる若い女の子がいる。

ヘッドホンをしている。

音漏れをしていない。

彼女は何かの業界紙を読んでいるようだ。まあ、これも定かではないんだけれど、広告の打ち方でなんとなくそう当たりを付ける。

内容は見えない。

目の前で読んでいるんだけれどもちろん内容は見えない。見出しも見えない。

かろうじて「自立」と読めたと思ったのだけど、目を細めて更に乱視をなんとかすべく片目、右眼で見たらそれは「日立」だった。また棒線が増えたのだった。

今度は、人間を右眼で見たらそれは人間のままだけど、左眼で見たらただの名刺だったりするかもしれない出典、安部公房「壁」)

その木なんの木気になる木、小林亜星、それを聴いて小林亜星に負けたと思ったキダタロー箕面原発浪江町、先週やってたEテレのドキュメンタリー、野球が好きだったおじさんが故郷を原発のせいで追われ、どんどん生気が失われていく様に言葉が無くなる。

混んだ電車で新聞をたたんで読む女子を見るというのは初めてだった。いい景色だった。

 

ソローキンの『ブロの道』がとにかくおもしろい。衝動買いしたんだけど。

こういう時間が欲しいから小説を読むのだということを噛みしめるように読む。

ロシア帝政からソ連になった雰囲気が主人公視点で滲み出てるのに惹かれて読んでたんすけど。

ブロの道: 氷三部作1 (氷三部作 1)

ブロの道: 氷三部作1 (氷三部作 1)

 

 

則本が手術という見出しに職場で思わず声を出してしまった。

そして、阪神打線の悲惨さには何も声は出ずとも今年もあかんやろなという感慨に3分くらい浸ってしまった。

 

 

2019年 1月 13日(日曜日)

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目の前にだれも座ってないのがとてもいい。

 

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ザ・ベッドタウン的風景

 

生きるって意味

19歳のぼくにとって生きることは「未来」のためにあった。しかもそれは「輝かしい未来」である。「輝かしい未来」にとっては過去なんてものは気にもとめていないどころか、邪魔なものでしかなかった。ぼくはそれを語る人たちのせいで人生という言葉の意味を「過去」として捉えていたのだ。だからその言葉が大嫌いだった。

しかし、これがだんだんと「今」という意味に変わってきたことにぼくはとてもわくわくして生活している。

ECDの音楽はECD自身のリアルタイムを歌っていた。それは整理されてはいなかった。簡単なわかりやすい結論を残した作品ではなかった。だからぼくは惹かれたのだ。保坂和志は過去を消えてしまうようなものとしない、「花ちゃんは死んでない」と言い出している。あの年賀状、最高だと思う。

というか、過去、現在、未来という区別がどうでもよくなったのだった。人生とは「今」という意味なのだ。「今」という瞬間に過去や未来がぶつかってきて常にボコボコ出てきてる感覚で、だから「今」には過去も未来もある。

そういえば、ツイッターを始めた09年ころ、「メタメタなツイートをキレキレッに投稿する」とか言われてたツイッタラーがいた。音楽クラスタとか言われてた、インディー好きな奴らの界隈に確かメタルが好きな方で「汚っ酸」とか呼ばれいる人が二人くらいいた。多分、当時で歳は30代中盤超えくらいだったんじゃないか。で、彼らの言うことは20代の発言が並ぶ中では確かにキレのあるというかとにかくメタだった。みんなまだ青い中で、簡単に言うと「俺が安倍を嫌いなのは俺が嫌いだから」的な音楽に感する評論家めいたツイートが並ぶ中でも彼らにはしっかりとした論理があった。なんというか、ソースやエビデンスのある論理的な話に見えていた。要は若者が陥りがちな自意識にまみれたものではないツイートをしていたように見えたのだ。

30代になって思う。そういう若者の自意識からくるツイートにメタで被せたくなる欲求、「俺はそこ通って卒業してここまで来てここまで考えられるようになったんだよ」的なやつあるけど、なんかきょう不意に「絶対にそれをしたくないな」って思った。それが30代の自意識の発露なんだから。

 

2019年 1月 12日(土曜日)

賢くありたいあなた達、愚直でありたいぼく

ダブスタ指摘系のツイートを見るのが好きだ。ツイッターやってることの醍醐味のひとつになってきている。「さあ!少しばかりの頭の体操です!」って感じでそのダブスタ指摘を「全然ダブスタでもない」とか「そもそもの問いの立て方が間違っていて、その系に関しては別の論理がある」というように崩すのが楽しい。崩せると「どうだパワーがたまって来ただろう」とストレッチマンの声と顔が意識に広がる。

例えば、「ジャズは自由だと言う人ほどあれはジャズじゃないと言いたがる」というツイートがあったとしてぼくは即座に「そもそもジャズかどうかなんてのは主観的な話にしかなりにくいのではないか。つまり所謂ひとつの『個人的な視点』から、そう、彼、彼女からしたらあまりにも不自由に感じてしまうジャズテイストの音楽があって、それに対して溢れんばかりのジャズ愛から『これはジャズではない』と判断したのなら、ジャズ=自由の論理に矛盾はないだろう」と浮かんだ。

このツイートは個人の主観でしかない「ジャズとは何か」というものへ目配せをした大変にチャレンジングなツイートであり、ってここまで書いていて馬鹿らしくなった。

 

わざとこういう書き方してきましたけど、他人をこうやって諭した感じになってるのがもう最悪じゃないですか。大体そもそもおもしろくない話でこうやって論を展開することがつまんないし、こうなってくると、当たり前にどんどん音楽そのものから離れていくだけで、他人とのマウントの取り合いになって自分の感性というか欲求や実感が鈍っていく音が聞こえてくるような気がするんですよ。なんかポストモダン的なイメージの罠にどんどんハマるというか。全然嫌いですよ、ダブスタのツイートなんか読むの。目にもしたくない。

 

何十年も積もってきたなんだかんだ自分の欲求になってきたものから生まれた感性とか実感、それを見つめることなくすてるなんてとんでもない!

 

にしても、特にネトウヨとか呼ばれてる方々のダブスタ指摘系の香ばしさというのか、そういうぼくなんかは「アホやな」ってストレートに思うのだけど、「この系に関しては指摘した論理の外にいかなる論理も存在しないッ!!!!論破ッ!!!!!!」みたいなイキり方がどうにもしんどいというか、キーボード叩いている人間のリアルな生活のしんどさまで見えるようでなんだかんだキツいなあと思うのだった。だって、そういう見方して日々職場に行き人と話して関係築いてるんでしょ。近くにいて欲しくないもの。

 

 

2019年 1月 11日(金曜日)

帰宅後にマジな感じの全身倦怠感がきてインフルエンザに罹患したかと思った

飯食っても本当にしんどくて風呂入って回復したかと思ったら、熱っぽさまできて「ついに‥‥」って絶望した。でも寝たらなんともなくなった。

小学校の同級生が「寝たら治る!!!」ってよく言ってたのを思い出した。寝ても直らなかったら病院行けよ。これから寝ても不定愁訴が治らない身体になっていくんだろうな。病気になることと健康のその境を破る発病というのがとにかく怖い。

 

コミュ障のなのかめんどくさがりなのか

職場の上司に「ホウレンソウ」という例の「報告、連絡、相談」がまったくできない人がいる。ホウレンソウと言ったところで彼は上司な訳だから「相談」は免除される。その代わりに「決断」しなくてはならないのだけど。しっかし、その全部ができない。そのくせ「ほーら、見たことか」という感じでこっちの仕事に口を出してくるので大変に嫌われている。ぼくも「こいつ、猫のうんこがたくさん埋葬されているような砂場に生きたまま埋めたいな」とよく思う。自分の好きなことになると延々と喋りかけてくる感じも本当に嫌いなので、前世は便所のボールとかだったんだと思う。ひたすらションベンかけられる苦行。滝行ならぬ尿行。しかも男のやつ。そんな前世で溜まりに溜まったシュウ酸カルシウムでなく鬱憤が今生で爆発!!!

ここで短歌を。

 

便所のボールにションベンかけたから

うんこももりもり便所のボール記念日

 

 

 

 

人の趣味

たまに「あんなの好きなのは男の影響だ!」って感じで他人に牙を剥く人いるけど、そういうこと言う奴こそ「女性があまり踏み込まない趣味のある女=男の影響」という図式を誰かから受けてることに気付いた方がいい。でないと、あまりにも頭が悪いことになる。

「他人の趣味を腐してねえで、もっと自由に生きろよ」

とぼくは思います。趣味は人を救うよ。しかも、それがたくさんあればあるほど、たくさんなくても深くハマってるものがあればいいんですよ。

そういうのが分からない人にそんな風に揶揄されても「あんたって他人の視線感じてそれに従わないと自分の好きなことや趣味すら決めれないのね。もしかして趣味は奴隷なんですか」としか思いませんよ。って電車で聞いた会話から思った。

2019年 1月 10日(木曜日)

起きたら14時34分だった怪

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洗濯して掃除して茶碗とかの洗い物してそいうのがひと段落したら16時回ってしまった。

不意に切れてしまったキッチンペーパーを買うことと野菜中心の晩御飯を考えることを至上命題にして買い物。ドラッグストアでレジの列に並ぼうとしたら、同じく並ぼうとしていたおばさんと競争になる。なんとか勝つも後ろに並んだおばさんになんかめちゃくちゃ物入ってるカゴでケツをどつかれる形に。流石に睨んでやった。レジですげえめんどくさそうなこと薬剤師呼んでやってたから勝ててよかった。

アウターをユニクロで済ませられる人生を行きたいと最近思う。特に近所を出歩くときに。でもやっぱり街行く人を見てると、ユニクロのアウターのそのくたり具合にそんな気持ちは藁の家より軽く吹き飛ばされて脳裏にフレッドペリーのカーディガンが浮かんで沈まない日に。

 

人生を感じる瞬間

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たまにこういう似たようなシチュエーションの悪夢を見る。なにも勉強していないのに明日が入試本番的なやつ。さすがにこの質問、釣りであって欲しい。浪人9月でマークの英語2割とかありえないし。狙うべきは大阪経済法科大学なのでは。それですら落ちそうだけど。

 

むかっしからニューエラ似合わねんだ

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先月、ニューエラのラップサックが欲しくなり欲しくなった瞬間から即座に買ってからとても便利で重宝している。とにかく両手が開くというのが世界最速とか世界制覇並みにすごい。電車で座りたいと思わなくなった。立ったまま本を読むのことがなんの不便さもないからだ。

「どうして欲しくなったのか」ということを思うと、それはなんとなくニューエラのキャップと合わせたいからなんだろうなって思っていたのだけど、どうやらそれだけが決定的な理由でないことに気付いてきた。『メジャーセカンド』を読んでいて佐藤光を見ていて欲しくなった気がしてならない。

メジャーセカンド』を読んでいてなんだかとても佐藤光に共感する。そしてまったく自分にはないものをもったキャラクターとして写る佐藤光に憧れる自分がいる。色々あるのにも関わらず他人の前ではとても明るいのがとにかくいい。理由はまだまだ全然詳しく言葉にできないのだけれど、ぼくにとってこのリトルリーグ編の楽しみの60パーセントくらいが佐藤光にある。

2019年 1月 9日 (水曜日)

人生初のCD売却

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デラックスとかレコードで持ってたりする希少価値もまったく無いような平凡でそれこそもう全然要らないCD16枚と中学生のころのフリマで拾ったボロボロのレコードを2枚、計18枚をディスクユニオンで売った。買取価格20%上乗せみたいなキャンペーンをしていたので9,000円になった。レコードにはそれは適用されなかった。

Apple Music以降CDなんかプレイヤーごとほぼ触ることすらなくなった。思い出も特になく収納的に棚を本に割きたいのでどうしても邪魔になるCDがこうやって金に変わるのはなんかアツい。どんどん売りたいと思った。CDは売っても良さそうなのが1,000枚くらいあるんだから。

9,000円で新しいシャツを買おうかな。どうしようかなあ。うへへへへへ。新しい服買うのって一番精神的にいい買い物ですよね。

 

いつ死んでもいい、きょうでなければ

NHKEテレでたまにやっているエッセイを読み上げる「ヨーコさん」が好きで、たまたまやってると嬉しくなる。今日は「いつ死んでもいい。きょうでなければ」って言葉にグッときた。なにかが閉じないような、絶対的なものに対してちょっと不遜にわがままな感じもいい。何かを言い切って結論を言い切ったような気分のする言葉よりも、こういうなにかが閉じないような言葉にぼくは気持ちが軽くなる。この元になったエッセイが欲しい。

 

朝9時30分にスキップをして歩いている60代くらいのおばちゃんを見た。あれは天使だったんじゃないかと思っている。ぼくはついに天使を見てしまった。

 

 通勤電車の怪

阪急淡路駅というのは不思議な駅で、まあそんなこと書いてるぼくもこの駅との付き合いは長く15年くらいになるのだけど、特急電車が普通電車を待つという大変に奇っ怪で特急電車に乗っている人間にはストレスフルでしかない現象が起こるのだ。特急梅田は北千里線からやってくる普通天下茶屋を3分程度待つのである。長いときはもっと待ってるんじゃなかろうか。

しかし、こうやって書くとこの待ち方は普通電車に乗ってきた方々には大変に喜ばしいことだと思われるかもしれないがそうではなく、普通天下茶屋がホームに着き「さ、ドアが開くぞ」というタイミングで特急梅田はドアが締まり発車するという「全員負け!!!!!!」みたいな大変に奇っ怪な現象なのである。

きょうもその現象は起きてしまった。この現象に出会う度にぼくは思うのだ。「株主にでもなって総会で是非この件に関して意見したい」と。きょうも思った。でも、梅田に着いて改札を宝塚線寄りで出てアズナスに入ってスムージーをレジに持って行ったらいつもいてる愛想の悪い40代のおっさんだったときに完全に忘れる。あの人のことを「宝くじが当たって片手間に働いてる中度の遊民」とぼくは勝手に設定している。あそこのアズナスはフォーク並びを推奨してないのがムカつくのだった。平等万歳!!!!

 

無言の人々

人になにかを察してもらわないと欲しいものが言えない、動けない人が嫌いだ。

列にちゃんと並べてないのに列に並んでることの縄張り意識みたいなのが強いのかそいつの後ろに並ぶと並んでるアピールみたいなことしてくるやつが嫌いだ。

人が立ってるところを通るときに「すみません」とか言えない人が嫌いだ。

そうやって無理矢理通りながらさらに汚いリュックまでぶつけてくる人が嫌いだ。

きょうそういう人に全部出会った。ロイヤルストレートフラッシュだと思った。社会は嫌いだけど、挨拶とかホウレンソウとかできない人間はもっと嫌いだ。逆にそういうことができる人には好感しか持てないみたいなことになる。

みんななんとも冴えない太った男だった。おかあさんがダイエーの二階で買ったみたいな服装で1000円カットみたいな頭してて、そこは3カードって感じ。