A Better Place To Pray

I'm singing out my revolution song like nothing else matters

8月11日 土曜日

エストから阪急の駅の横断歩道は青信号になると戦国時代の合戦のように両側から人が一気に歩いてきて交わる。ここを歩いていると、大体誰かとぶつかりそうになる。

きょうは目の前を俺と同じ方向、梅田駅に向かって歩いていた男が前からきた男にぶつかった。明らかに前から来た男の確信犯というかもう避けるという事をしていないぶつかりだった。

ここを超えても今度は改札に向かうエスカレーターに乗るのに人の流れを読まなくてはいけない、大体エスカレーターの前は俺と逆方向のエストに向かう人たちがだーーっと蟻のように列を歩いているのでこれを突っ切ってエスカレーターに乗らなければならない。これは大縄跳びを思い出す。なんだったら、エスカレーターの反対側にある喫茶店、店員の制服がメイドメイドしててそれだけで入る価値のあるような気がしてくるピエロ・ド・ピエロに入ってやろうかと思う。というか、あそこで客引きやってるやつらウザすぎ。うんこぶりぶりウザすぎ君だ。

という、個人的に退勤から家への道のりで最も憂鬱な地点がエストからエスカレーターであって、退勤30分前の歓喜がたまにこの憂鬱に呑み込まれ帰りたくなくなることまであるのが最近の生活における悩みの一つです。でも、エストの中歩くのは大好きです。

8月10日 金曜日

運転免許というのを持っていないことを本人としては気にしていない、がしかし、社会というのか、そういう個人を抑圧するような「何か」から運転免許のことを考えさせられることがある、とういうことを、阪急電車に乗って「八月の光」を読んでいて思う。

環境に考えさせられるということがある、本人としてはあんまり問題とは、というか意識すらしていないのに、環境が「それは問題があるんじゃないか」と本人に意識させることがある。

なんだかそういうことが増えてきた気がする。というか、簡単に言うと「それでホントにいいの?」ということを何かの瞬間に思うことが増えた、ということなのだけど、そういうことも結局は別にどうでもよくなるのであって、自分のことを対社会でものを考えるのはホントにくだらないな、で着地する。大真面目に人生とか言ってるんだけど、それは社会化されたものでしかないのにとても個人的なこととして語る、みたいなのが俺にはどうしても苦手だ。広告みたい。

 

8月8日

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もろに影響を受けて積ん読を無視した。

去年、七尾旅人がツイートしてて読みたくなって買ったまま読まずにいたフォークナーを鞄に入れて出勤。『八月の光』を去年の今頃にジュンク堂で買った帰りに古墳に寄って1時間くらい座ってサッカーの練習と空を見ながらなんか読んだ気になったはずだ。

阪急電車グリーン・デイの「ジーザス・オブ・サーバビア」を聴きながら読むと曲と小説がよくわからないシンクロをする。帰りの電車で立ったまま読めたので読み通せそうな気がするが、前に座っている女性がなんか気になって淡路駅からは目が滑って、騾馬の人の家に帰ったところで好きなところだけ何度も読んだ。女性同士が視線で会話するところを。最近、電車で本を読まない方がいい気がしている、と思うそれが、読書にいいのかもしれないみたいなことを思う。本もレコードも鞄に入れるのでなくそのまま持つのが好きだ。ブックカバーも、ブックカバーを買う金で一冊買える、という論理に勝てないで買えないでいる。

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遂にガチャの排出率が公表されるようになったサクスペ。

PSRは0.5%ですって。10倍しても5%やないかい。そらでえへんはずやで。

とキレ気味に10連回しました。SRは3%です。それを2枚引いたので怖くなりました。画像で3枚引いてますが一枚目はSR確定なので。2枚目からはSR3%の排出率。けーーーーーーーーーー。課金なんかするかいな!

鳴響高校おもしろそうなんで当分ハマりそう。

生活の流れを悪くしないようにして、ここぞというときにガッといける体勢でいたい。

8月7日

昼の12時32分に起きた時点で負け試合だ。

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本を読まなかった1日だったが読んでいるときよりも読んでる気分ではあった。

ソフトボール女子の試合をよく観ていて、きょうは雨で試合が中断したその間08年の北京五輪の試合のダイジェストが流れていて、上野は昼のアメリカ戦で投げた後の夜のオーストラリア戦で投げ、翌日のアメリカ戦でも投げていた。

ブストスのことは覚えていた。上野がそれくらい投げた事実よりもブストスのことを覚えていた自分は不真面目だなと思った。

一回、ノーアウト満塁という四番に強打者を置く意味が最大限に発揮される場面を上野は向かえるのだが、三者連続三振を取って無失点で切り上げた上野は能見さんのようだった。

ロサリオが満塁ホームランを打っても、インコースだし、前に完封してても今の内海だし、東京ドームだし、って事で信じることができない。汚れちまった悲しみというのはこういうことなのだろうか。

先端の夏季氷の愛す

センタンのかき氷のアイスが生産を中止したとセンタンのかき氷のアイスが売っているところに貼り紙があった。そこには在庫がなくなると入荷はないので買い溜めした方がいいよ的なことが書いてある。先週くらいからその張り紙がある。

だけど、なんだかいまいちピンとこないので、店が嘘付いて在庫捌こうとしてんじゃないか、とまで振り切れるくらい信じてないわけではないけど、過ぎりはする。何故なら店は4割引で売っている。

とにかくこんなにも暑い夏に暑い夏には結構必要なセンタンのかき氷のアイスが食えなくなるという危機感は僕にまったくなくて貼り紙を見てからもずっとその日食う分しか買わなかった。これが正常性バイアスというものなんだろうか。

けれど、ついに他社ではあるが、サクレが生産を中止するという一報をツイッターで知り、さすがにきょうはセンタンのかき氷のアイスを各種、コーヒーのやつは除いて、満遍なく10個買った。個人的に5000円の本を買うことよりハードルが高かった。レジで通してもらうときにドキドキした。

保坂和志の原稿を書く机は大きな窓に向かって置いてあるのがめちゃくちゃいいと思った。

通り過ぎる夏の向こうに夢を見てる

  毎日考えていることがある。

  と言っても深刻に四六時中考え続けているとか頭のメモリーをそれが占拠していて常時何とは無しに考え続けてしまってなんだか調子が悪い、という類のものではない。不意に考える。

  それはパワプロのサクセスで作成した選手の名付けだ。

  これが億劫で億劫のまま放置しておくと、コンピュータが無作為に選んだ日本人の苗字のままになった選手が大量に湧いている状態になってしまい、そこからそのチームを使ってプレーをしているとその無作為苗字に愛着が湧いてしまい、変に名前を変えてしまって誰だかわからなくなると思うと、さらに名付けへの億劫さが増すことになる。こうなるとわけがわからない。「北爪」という苗字を選んできたときのコンピュータには感心すらしているのだけど。サクスペのチョイスはおもしろいが、パワプロ2018は実在選手から引っ張ってくるので全くおもしろくないどころかイラッとする。

  そういうわけだから、「これはいいな」という名前が思い付くとメモを取るのだけど、目下そのストックは一つしかない。ちなみにそれは「推しのCD」だ。キレに欠く気がするのだけど、電車内で聞こえてきたそれ以上のものは思い付かない。とにかく暑すぎるのだから仕方ない。でもあと10選手くらいの名付けが必要なのだ。キャラメイクは楽しい筈なのに、スランプに入るとツラい。

 


  音楽はGLAYばかりでもう「新しい音楽」というのがわからない。少なくともアークティック・モンキーズのホテルでカジノの新作以降、「新しい音楽」を聴いてない筈だ。

  GLAYが自分の実存に迫るのを少しおもしろがりながら聴いている。

  特に「生きていく強さ」「BELOVED」みたいな曲に惹かれている自分を思うと、「人生というものが迫ってきてるんだな」と月並みの表現で人ごとのようにに思う。最早、ロックでも何でもない演歌のような歌詞なのだけど、「ロックでないことがこの曲の瑕疵にならないくらいに、というか、そんなことどうでもいいくらいにいい曲だ」なんて思っている自分を五年前の自分が知ったら激怒するはずだ。

 


  「自分らしく生きてゆくのに あなたがそばにいてくれたら ああ夢から覚めた 今以上あなたを愛してる」

 


  まだ全然夢から覚めてないのにGLAYが迫るという現象が起きていて、それだから「自分らしく生きてゆくのに あなたがそばにいてくれたら」にピンと来ていないとういことは、「夢から覚めるのが恐ろしいな」と思うわけです。

 


  「dancing in illusion 君の大事な夢ってやつはウスノロかもね」

 


  さらにGLAYはこう歌われるので、梅田の堂山とかにいてる、何して生きてるのか分からない人たちに感情が向くわけです。

 


  「まともな感覚からじゃとびきりのアートは生まれない」

 


  ホントに?って思いつつ向けた感情をしまって、「談志、イン・居るー!ジョン!」とか歌って何も知らないフリして馬鹿騒ぎするんですけど。

 


  「常識と運命を蹴り上げ一瞬に賭けてみる」

 


  そうそう、こういうのがロックぽくていいですよ。こいうのが。

  GLAYはロックぽい曲でもロックぽい感じに振り切れないところに誠実さを感じます。さすが親にも聞かせられるビジュアル系ですね。ラルクは真逆で、ロック感がないと嘘臭くなる。ラルクはカッコ付けれてナンボなバンドです。

  これは簡単な話で、ラルクの歌詞はGLAYより抽象度が高く、ぶっちゃけ具体的な事象がさほど描かれてないからです。

  ラルクは現実の出来事を色をキャンバスで何度も何度も重ねる油絵みたいな歌詞で浮遊感のある世界。

  GLAYの歌詞は現実との接点が具体的で明確です。

 


  「古びたアルバム開いた僕は 若かった二人と今じゃ歳もそう変わらない」

 


  こういうのをロックバンドが歌うんだから。やめてほしいですよ。まだ全然夢から覚めてないんだから、こっちは。

 


  「恋した日の胸騒ぎを 何気ない週末を 幼さの残るその声を 気の強いまなざしを あなたを彩る全てを抱きしめて ゆっくりと歩き出す」

 


  「However」のラストなんて人物や情景が立ち上がってくるような手応えがあって、この曲自体の構成も相まってカタルシスが生まれてます(これ、不倫というか、叶わない相手への歌何ですかね)。具体的な誰かを思わずにはいられませんし、この具体的な誰かへの想いの深さ、情感っていうのが聞き手の人生ってものに比例するんですね。ここらへんの感じはラルクには無いと思います。普遍とか真理ではないんですかね、GLAYは。

  陳腐な表現もあると思う、というか、諸手を挙げて最高!とまではやっぱり夢から覚めてない私には到底言えないんですが、よく出来てるなと思う歌詞の曲が目に付きます。

 


  そんな中でも比較的抽象度の高いのが「生きがい」という曲ですが、私はこれが一番好きです。

 


   「僕は一人だ 祈るべき神も 祈る言葉もとうにないさ どこへ行けば どこまで行けば あなたの言葉の意味がわかる 意味が見つけられる」

 


  いいですね。これは。30代には迫ってきますよ。

  まあ、私には信奉してる小説家も哲学者もミュージシャンも猫もいて、神も言葉もしっちゃかめっちゃかにあって、時間までありやがるので内面が外面と擦れに擦れて会話になってうるさくてうるさくてたまんないんですが、30代ってそういうものがない、というか、穏やかに失う人も多いんでしょう。

  そう、穏やかに、です。穏やかに失う、ここがポイント。気付いたら、ない。不可逆。自分を取り戻せ!いや、取り戻すな?

 


  「Hey men 乱痴気騒ぎ人を巻き込んで ヨリを戻したんだって人騒がせな」

 


  なんていうゴミみたいな話は終わりにして、GLAYで好きだなあ、というか、家で不意に歌ってしまうのがこのライン。いいですね、JIROの声。歌詞に合ってますよ。この「SHUTTER SPEEDSのテーマ」はロックチューンですね。「ビリビリクラッシュメン」と双子のようなイメージがあります。

  『BELOVED』から『HEAVY GAUGE』までのGLAYの3枚、96年から99年ですが、「ここはラルクと共振してたんじゃないか」って妄想が最近捗ってます。

  『BELOVED』は『True』で、『pure soul』は『HEART』で、『HEAVY GAUGE』は『ark』『ray』。なんか空気共有してる気がするんですよね。音というよりも、前のアルバムとの関係というか。ま、今日はこの辺で。完璧に途中から文体が変わったのはGLAYを語る語り口は、口語的にした方が実感がこもりやすかったからです。以上!