A Better Place To Pray

I'm singing out my revolution song like nothing else matters

通り過ぎる夏の向こうに夢を見てる

  毎日考えていることがある。

  と言っても深刻に四六時中考え続けているとか頭のメモリーをそれが占拠していて常時何とは無しに考え続けてしまってなんだか調子が悪い、という類のものではない。不意に考える。

  それはパワプロのサクセスで作成した選手の名付けだ。

  これが億劫で億劫のまま放置しておくと、コンピュータが無作為に選んだ日本人の苗字のままになった選手が大量に湧いている状態になってしまい、そこからそのチームを使ってプレーをしているとその無作為苗字に愛着が湧いてしまい、変に名前を変えてしまって誰だかわからなくなると思うと、さらに名付けへの億劫さが増すことになる。こうなるとわけがわからない。「北爪」という苗字を選んできたときのコンピュータには感心すらしているのだけど。サクスペのチョイスはおもしろいが、パワプロ2018は実在選手から引っ張ってくるので全くおもしろくないどころかイラッとする。

  そういうわけだから、「これはいいな」という名前が思い付くとメモを取るのだけど、目下そのストックは一つしかない。ちなみにそれは「推しのCD」だ。キレに欠く気がするのだけど、電車内で聞こえてきたそれ以上のものは思い付かない。とにかく暑すぎるのだから仕方ない。でもあと10選手くらいの名付けが必要なのだ。キャラメイクは楽しい筈なのに、スランプに入るとツラい。

 


  音楽はGLAYばかりでもう「新しい音楽」というのがわからない。少なくともアークティック・モンキーズのホテルでカジノの新作以降、「新しい音楽」を聴いてない筈だ。

  GLAYが自分の実存に迫るのを少しおもしろがりながら聴いている。

  特に「生きていく強さ」「BELOVED」みたいな曲に惹かれている自分を思うと、「人生というものが迫ってきてるんだな」と月並みの表現で人ごとのようにに思う。最早、ロックでも何でもない演歌のような歌詞なのだけど、「ロックでないことがこの曲の瑕疵にならないくらいに、というか、そんなことどうでもいいくらいにいい曲だ」なんて思っている自分を五年前の自分が知ったら激怒するはずだ。

 


  「自分らしく生きてゆくのに あなたがそばにいてくれたら ああ夢から覚めた 今以上あなたを愛してる」

 


  まだ全然夢から覚めてないのにGLAYが迫るという現象が起きていて、それだから「自分らしく生きてゆくのに あなたがそばにいてくれたら」にピンと来ていないとういことは、「夢から覚めるのが恐ろしいな」と思うわけです。

 


  「dancing in illusion 君の大事な夢ってやつはウスノロかもね」

 


  さらにGLAYはこう歌われるので、梅田の堂山とかにいてる、何して生きてるのか分からない人たちに感情が向くわけです。

 


  「まともな感覚からじゃとびきりのアートは生まれない」

 


  ホントに?って思いつつ向けた感情をしまって、「談志、イン・居るー!ジョン!」とか歌って何も知らないフリして馬鹿騒ぎするんですけど。

 


  「常識と運命を蹴り上げ一瞬に賭けてみる」

 


  そうそう、こういうのがロックぽくていいですよ。こいうのが。

  GLAYはロックぽい曲でもロックぽい感じに振り切れないところに誠実さを感じます。さすが親にも聞かせられるビジュアル系ですね。ラルクは真逆で、ロック感がないと嘘臭くなる。ラルクはカッコ付けれてナンボなバンドです。

  これは簡単な話で、ラルクの歌詞はGLAYより抽象度が高く、ぶっちゃけ具体的な事象がさほど描かれてないからです。

  ラルクは現実の出来事を色をキャンバスで何度も何度も重ねる油絵みたいな歌詞で浮遊感のある世界。

  GLAYの歌詞は現実との接点が具体的で明確です。

 


  「古びたアルバム開いた僕は 若かった二人と今じゃ歳もそう変わらない」

 


  こういうのをロックバンドが歌うんだから。やめてほしいですよ。まだ全然夢から覚めてないんだから、こっちは。

 


  「恋した日の胸騒ぎを 何気ない週末を 幼さの残るその声を 気の強いまなざしを あなたを彩る全てを抱きしめて ゆっくりと歩き出す」

 


  「However」のラストなんて人物や情景が立ち上がってくるような手応えがあって、この曲自体の構成も相まってカタルシスが生まれてます(これ、不倫というか、叶わない相手への歌何ですかね)。具体的な誰かを思わずにはいられませんし、この具体的な誰かへの想いの深さ、情感っていうのが聞き手の人生ってものに比例するんですね。ここらへんの感じはラルクには無いと思います。普遍とか真理ではないんですかね、GLAYは。

  陳腐な表現もあると思う、というか、諸手を挙げて最高!とまではやっぱり夢から覚めてない私には到底言えないんですが、よく出来てるなと思う歌詞の曲が目に付きます。

 


  そんな中でも比較的抽象度の高いのが「生きがい」という曲ですが、私はこれが一番好きです。

 


   「僕は一人だ 祈るべき神も 祈る言葉もとうにないさ どこへ行けば どこまで行けば あなたの言葉の意味がわかる 意味が見つけられる」

 


  いいですね。これは。30代には迫ってきますよ。

  まあ、私には信奉してる小説家も哲学者もミュージシャンも猫もいて、神も言葉もしっちゃかめっちゃかにあって、時間までありやがるので内面が外面と擦れに擦れて会話になってうるさくてうるさくてたまんないんですが、30代ってそういうものがない、というか、穏やかに失う人も多いんでしょう。

  そう、穏やかに、です。穏やかに失う、ここがポイント。気付いたら、ない。不可逆。自分を取り戻せ!いや、取り戻すな?

 


  「Hey men 乱痴気騒ぎ人を巻き込んで ヨリを戻したんだって人騒がせな」

 


  なんていうゴミみたいな話は終わりにして、GLAYで好きだなあ、というか、家で不意に歌ってしまうのがこのライン。いいですね、JIROの声。歌詞に合ってますよ。この「SHUTTER SPEEDSのテーマ」はロックチューンですね。「ビリビリクラッシュメン」と双子のようなイメージがあります。

  『BELOVED』から『HEAVY GAUGE』までのGLAYの3枚、96年から99年ですが、「ここはラルクと共振してたんじゃないか」って妄想が最近捗ってます。

  『BELOVED』は『True』で、『pure soul』は『HEART』で、『HEAVY GAUGE』は『ark』『ray』。なんか空気共有してる気がするんですよね。音というよりも、前のアルバムとの関係というか。ま、今日はこの辺で。完璧に途中から文体が変わったのはGLAYを語る語り口は、口語的にした方が実感がこもりやすかったからです。以上!