A Better Place To Pray

I'm singing out my revolution song like nothing else matters

ざわめきに耳をすます

 高校生くらいの頃に気付いたのが、「コミュ力(当時はトーク力と呼んでいた)は一日誰とも会わなかった次の日がピークでそれ以降はどんどん落ちていく」ということだった。
 もうちょっと詳しく書くと、高校生だから日曜日に友達と合わずに一人で本を読んだり音楽を聴いたり、そして個人的には一番時間を費やしていたのが「妄想(もちろんほぼ健全。あいつを殺してやる!とかではない)」 であって、そういう内向的なことで塗りつぶした一日の次の日の月曜日が、クラスメイトなどとの会話での「振り」も「返し」も「ツッコミ」も「たとえ」も、そして「ボケ」も冴えていたという話だ。

 日曜日という内向的な時間を一人で過ごすことでインプットが出来て、月曜日にクラスという空間に半ば強制的に置かれてしまうことによってそのインプットがクラスメイトとの刺激によってアウトプットされていく。そして、インプットが消耗されるにつれてアウトプットが痩せ細る、こういうことだろうか。なんか木曜とか金曜とか「もうなんか無理にネタに走らんでええて」とか思いながら切れ味のないボケを振ったり、ツッコミをしていた記憶がある。悲しいかな、大阪人、ということなのだろうか。

 思えば、僕にとって日曜日と土曜日はインプットに最適だった世代かもしれない。
 小学生の頃の日曜日は「ごっつええ感じ」だった。月曜日に「ごっつ」のコントを教室でやってた小学生だった。これはもう日本中の小学生がそうだったんじゃないか。高学年になるとそこに土曜日の「めちゃイケ」が入ってくる。
 そして、日本テレビの土曜日9時枠のドラマ群の快進撃も堂本剛&ともさかりえ金田一少年の事件簿』辺りから始まる。「学校の怪談」(池乃めだかのドラマ版、映画、そして常光徹の書籍)や「怪奇倶楽部」で目覚めたオカルトの扉が更に開いたのは『銀狼怪奇ファイル』だ(そのオカルトの扉は、中2の99年1月スタートの土9ドラマ『君といた未来のために』によって知ったニーチェによって哲学という扉があることを教えてくれた)。
 中学生から高校生の日曜日は「吉本超合金(吉本超合金F含む)」だった。これは中学生の頃はもう「ごっつ」以上にネタを真似した。一番好きなバラエティ番組は『吉本超合金』だ。
 やっぱり土曜日の「めちゃイケ」だ。97年から02年なんていうのは「めちゃイケ」の全盛期じゃないだろうか。中学生の頃に「お笑いストラックアウト」の回があって、録画したのを何回も何回も観て、同じように何回も何回も観た友達と昼休みとかに何回も何回もネタの細部やテロップを弄って大笑いして女子に眉をひそめられた思い出がある。

 高校も2年くらいになるともうそんなに土日にワクワクしなかった気もするんだけれど、それでもワクワクしてたときの気持ちは忘れられない、というか、しっかり戻ってくるタイミングもある。例えばそれはYouTubeで『金田一少年の事件簿』のOPを観たりすると小学生のときの土曜の夜の全能感が甦ってくる。



 小学生の頃、夏休みに入る前の一学期最後の登校日の帰り道で歩道橋をお道具箱を持ちながら渡っていたときの「匂い」が急にしてきて着ているスーツが重たく感じたり。
 中学生の頃、土曜日の昼までの授業を終えて「腹減ったわ」とか思いつつ帰ろうとして下足室で靴を履きながら部活に行く友達とした他愛もない会話をしてときの「匂い」が急にしてきて、GLAYの「グロリアス」をスマホYouTube開いて「土曜の午後の青空と生意気な笑顔たち」というラインを目当てに聴いて、やっぱりスーツが重たく感じたり。

 教室はいつもざわざわしていて、みんなが何かを喋っていてその喋りが重なっていつもざわざわしていた。クラスメイトがざわざわとして1つになったみたいにざわざわしていた。特定の誰かの声だけざわざわのなかからハッキリと聞こえていた気もする。聞こえていたというより聴いていた気がする。
 そこで先生が来てもまだちょっとざわざわしている。だから先生は「はーい、ちょっと静かにー」なんてことを出席簿で教卓を叩きながら言う。すると「ちょっとってどれくらいー?」とか言うやつがいたりして、先生が「50分くらいやな」とか言って「全然ちょっとちゃうやん!」とか誰かがツッコんでクラスが笑う。授業が始まる。
 昼間に中学校の前を通るとその開いた窓からはやっぱり全力のざわざわが聴こえてくる。僕の頃の教室のざわざわは今となってはバラバラになっている。だから、あの名前も知らない中学校の全力のざわざわもいつかバラバラになる。教室のざわざわは宇宙みたいなもののように思える。とか思ってるとやっぱり聴こえてくるGLAYの「グロリアス

 土曜の午後の青空と生意気な笑顔達
 あてのない景色をながめて同じ地図描いてた
 誰ひとり別々のゴールに向かう事サヨナラを
 言葉にはできずはしゃいでる

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団地ともお 29 (ビッグコミックス)

団地ともお 29 (ビッグコミックス)

 ということを『団地ともお』を読んでいると思い出す。終始ざわざわしてる漫画だ。誰かの声が大きいわけでもなく、とにかく団地自体がざわざわざわざわしているのを小田扉がちゃんと拾って29巻で500話くらいにしている。みんなが何かを喋っている。それを聴くのがおもしろい漫画だ。
 委員長のファン。教室のざわざわの中から聴こうとしてた声の主は委員長に似ていたからだ。