A Better Place To Pray

I'm singing out my revolution song like nothing else matters

Let There Be Love

死んでも心のなかで生きている、という文句があるけども、それがどういうことなのかよくわからないと本気で思ったのが11月4日だった。10年弱もいつもずっと生活をともにしてきた猫が突然に亡くなるというのは、「死んでも心のなかで生きている」という概念がまったく的外れにしか思えないのだった(もしかしたらそれは何か社会の側からの「死」というものへ人の考えを向けさせないようにするコードなのかもしれない、とすら思っている)。
何故なら、死んでも明らかに心のそとで生きている、としか僕には思えないからだ。
で、恐らく一般的には、そういうことを思っている人間を「狂っている」「おかしい人」、控えめに言って「変わってる人」と言うんだと思う。

それは幽体が見えるとかそういう「即物的な」ことではない(まあでも実際に見えるんだけど。それはケータイのバイブレーションが作動してないのに作動したように感じてしまうのと同じ現象という意味で猫が部屋で寝床にしていた場所では「見える」)。
例えば、本を夢中に読んでいても急に部屋の物音に集中するその癖は猫のためのもので、猫が亡くなってからもそれは続いている。耳は猫のあの肉球から生まれる柔らかな「トットット……」という物音を探している。他にも部屋の物の配置はこの10年、すべて猫の動きに応じて置かれ、スマホや本やレコードを放置して部屋を離れるときは、絶対に猫が近付かないところに置く。
猫が死んでも僕のそれはそのままだ。
こういうことがたくさんある。となると、どうにも「心のなかで生きている」とは思えなくて、明らかに「心のそとで生きている」としか思えない。
猫が僕や家に開いた時間や空間や手触りはまだ全然開いているし残っている。

死んでも全然終わってくれない。
その「終わってくれなさ」に僕はあたまを吹き飛ばされそうになりながら過ごしていたのだけど、徐々にそれが「終わってくれなくていいんだ」と思うようになってきた。
それを思いながら毎日猫のために祈っている。
毎日、祈る対象があるのはいいことだとすら思っている。
それは毎日猫にご飯をあげることと何が違うのだろうとも思っている。

「A Better Place To Pray」というのはオアシスのブートレグだ。
95年から96年にかけてのノエルによるラジオ番組での弾き語り音源が収録されていて、ひたすら「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」と「ワンダーウォール」と「キャスト・ノー・シャドウ」が続き、一曲だけ入ってる「マスタープラン」に「お!」と思えど聴けば音質が死んでいる、という恐らくマニア向けの資料的なブートレグだ。というか、こんだけ何回も何回も同じ曲をプロモーションとしてやるってのは、実際問題として大変なんだろうなということを、このブートレグがほぼ前述の3曲の繰り返しなのを聴いてるこっちの気分から少し邪推してしまう。

ただタイトルとジャケットに引かれて久しぶりにブートレグを買ってしまった(このタイトルがどこからの引用かなんて書かなくてわかるだろう)。オアシスのブートレグはこれで20枚になった。
10年前、大学生だったときに初めて買ったブートレグはオアシスの6枚目のツアーの音源が収録された『Bring It All Back Home』だった。次が『Don't Believe The Truth Sessions』だった。
僕は6枚目でオアシスと出会い、6枚目のオアシスに夢中になったのだった。

僕はオアシスが好きだ、ということも猫が死んでわかったことだ。再確認とかでなくて、初めて「俺はオアシスが好きだ」とわかったし、心からオアシスの音楽を楽しんでいるのだと思う。それまでは限定的にオアシスが好きなだけというか、あくまでもこっちの物差しに合うオアシス像を拵えていただけだったような気が『BE HERE NOW』のデラックス盤を聴きながらしている。

その証拠にボーンヘッドがオアシスのデビュー当時からずっと完璧に禿げていることに写真集を眺めていて初めて気が付いた。
これは凄い。スーパーバンドのギタリストが禿げている。
それもデビュー当時からずっと。しかもあれは典型的な禿げ方で、言い訳がまったくきかないガチのやつだ。
「普通、レディオヘッドのドラムみたいにスキンにするんじゃないのか?」
「いや、そもそもがデビュー当時から禿げているとはどういうことなのか??」
「つうか、俺ならどうする?」
と詮索が進むのだけど、ボーンヘッドと堂々と名乗り典型的な禿げあたまでスーパーバンドのギタリストをしている。まるで吉本新喜劇の「世間での弱味は笑いでは武器になる」の世界みたいだ。(こんなことを書いていてお前は本当にオアシスが好きなのか?)

冗談はさておき(冗談じゃないんだけど)、猫の世話をさせて頂いていた時間がごっそり無くなったのは確かなことで、時間があるのでTwitterを開くと聴きまくっているオアシスの話をついつい捲し立ててしまうので、ブログをしようじゃないかということが本題でしかないし、まあ、多分来週には飽きてるんだろうけど。